Mire Pral チャボロ・シュミット
「自由人!」
彼の事を調べるとそんな言葉を何度も目にします。
チャボロ・シュミット(マヌーシュ・ギタリスト)
Tchavolo Schmitt

1954年にパリで生まれ6歳からギターを始めたチャボロ
父はヴァイオリニスト、母がギタリストという音楽一家の家系で、
その腕前は彼が20代の頃には「凄いギター弾きがいる」と噂になるほどだったそうです。
アルバム「Alors?...Voila!」のライナーノートでは、
次のように書かれています。
「特に、1979年のドイツ・ダルムシュタットで開かれたフェスティバルでのチャボロの演奏は衝撃的なもので、それを収めたアマチュアの録音テープや録画ビデオが愛好家の間で流通し、チャボロ伝説を生むきっかけとなった」

しかしチャボロは音楽家としての名声や裕福な生活には興味が無く、
自由気ままにギターを弾いて暮らしていました。
ストラスブール郊外に住み、地元のミュージシャンや
その土地を通過するアーティストとカフェやバーでセッションすることが、
チャボロにとって無上の楽しみだったそうです。
チャボロの名を世界的にしたきっかけは、
1993年制作、トニー・ガトリフ監督作品の
「ラッチョ・ドローム」です。

この作品はインド・ラジャスタン地方を出発点に、エジプト、トルコ、ルーマニア、ハンガリー、スロヴァキア、フランス、スペインとロマ民族(ジプシー)が渡っていく音楽映像詩で、
映画といってもセリフは殆どありません。
フランスに渡ったロマ民族をマヌーシュと呼ぶのですが、
チャボロはマヌーシュ・ギタリストとして出演してます。

見事な演奏を披露するチャボロ

自らがロマの血を引くトニー・ガトリフ監督は
2002年制作のストラスブールを舞台とした映画
「僕のスウィング」でもチャボロを再びギタリスト役で起用します。
日本でチャボロ・シュミットの名が知られるようになったのは
この映画がきっかけと言っても過言ではないでしょう。
この映画のオープニングで使われた曲は
「Mire Pral」という題名です。
作曲はチャボロ・シュミットとマンディーノ・ラインハルトの共作
マンディーノ・ラインハルトも映画では
骨董屋の役で出演しています。
下の画像は二人のライブ風景

「Mire Pral」のソロを譜面でご紹介します。
まずはチャボロ・シュミットのアルバム
「Seven Gypsy Nights」より採譜しました。



次に映画のサウンド・トラック盤より採譜したソロを掲載します。



4ページも楽譜を掲載して、なんですが
チャボロの迫力ある音楽は、とても譜面で表現できるものではありません。
是非、皆様にはチャボロのCDなどで、彼の素晴らしい音楽を楽しんで頂ければと思います。
DVDもありますよ〜!
Tchavolo Schmitt Live in Parisより

頭髪は薄くなりましたが、眉毛の濃さとギタープレイは衰えません

東京の西早稲田に「Blue Drag」というライブハウスがあり
マヌーシュ・ギターの生演奏を楽しむ事が出来ます。
移転する以前は池袋にあり、私も何度も聴きに行きました。
お店には若いフランス人の青年が働いていて、
彼はチャボロの大ファンでした。
出身地も同じで、チャボロは自分の大先輩で、
とても尊敬していると熱く語ってくれました。
彼は自分の胸に手を置き私にこう言うのです。
「チャボロは僕にとって1番」
私は何の悪気もなく、つい変な質問をしてしまいました。
「なるほどチャボロが1番好きなんだ!ジャンゴより?」
彼は5秒ほどフリーズしてしまい
おもむろに私を見上げて言いました。
「ジャンゴ1番」
聞いた私が馬鹿だったのです。
ジャンゴはマヌーシュ・ジャズの生みの親であり
比較する対象では無いんですよね!
私は反省しました。
しいて表現するとこんな感じで
(反省)

私はまるで武田鉄矢のように、なんどもうなずきました。
うんうんうんうんうん

そしてフランスから来たその青年の肩に手をかけ
解りやすい日本語で言いました。
「チャボロ2番ね!」
...............
.................

今回はこの辺で
彼の事を調べるとそんな言葉を何度も目にします。
チャボロ・シュミット(マヌーシュ・ギタリスト)
Tchavolo Schmitt

1954年にパリで生まれ6歳からギターを始めたチャボロ
父はヴァイオリニスト、母がギタリストという音楽一家の家系で、
その腕前は彼が20代の頃には「凄いギター弾きがいる」と噂になるほどだったそうです。
アルバム「Alors?...Voila!」のライナーノートでは、
次のように書かれています。
「特に、1979年のドイツ・ダルムシュタットで開かれたフェスティバルでのチャボロの演奏は衝撃的なもので、それを収めたアマチュアの録音テープや録画ビデオが愛好家の間で流通し、チャボロ伝説を生むきっかけとなった」

しかしチャボロは音楽家としての名声や裕福な生活には興味が無く、
自由気ままにギターを弾いて暮らしていました。
ストラスブール郊外に住み、地元のミュージシャンや
その土地を通過するアーティストとカフェやバーでセッションすることが、
チャボロにとって無上の楽しみだったそうです。
チャボロの名を世界的にしたきっかけは、
1993年制作、トニー・ガトリフ監督作品の
「ラッチョ・ドローム」です。

この作品はインド・ラジャスタン地方を出発点に、エジプト、トルコ、ルーマニア、ハンガリー、スロヴァキア、フランス、スペインとロマ民族(ジプシー)が渡っていく音楽映像詩で、
映画といってもセリフは殆どありません。
フランスに渡ったロマ民族をマヌーシュと呼ぶのですが、
チャボロはマヌーシュ・ギタリストとして出演してます。

見事な演奏を披露するチャボロ

自らがロマの血を引くトニー・ガトリフ監督は
2002年制作のストラスブールを舞台とした映画
「僕のスウィング」でもチャボロを再びギタリスト役で起用します。
日本でチャボロ・シュミットの名が知られるようになったのは
この映画がきっかけと言っても過言ではないでしょう。
この映画のオープニングで使われた曲は
「Mire Pral」という題名です。
作曲はチャボロ・シュミットとマンディーノ・ラインハルトの共作
マンディーノ・ラインハルトも映画では
骨董屋の役で出演しています。
下の画像は二人のライブ風景

「Mire Pral」のソロを譜面でご紹介します。
まずはチャボロ・シュミットのアルバム
「Seven Gypsy Nights」より採譜しました。



次に映画のサウンド・トラック盤より採譜したソロを掲載します。



4ページも楽譜を掲載して、なんですが
チャボロの迫力ある音楽は、とても譜面で表現できるものではありません。
是非、皆様にはチャボロのCDなどで、彼の素晴らしい音楽を楽しんで頂ければと思います。
DVDもありますよ〜!
Tchavolo Schmitt Live in Parisより

頭髪は薄くなりましたが、眉毛の濃さとギタープレイは衰えません

東京の西早稲田に「Blue Drag」というライブハウスがあり
マヌーシュ・ギターの生演奏を楽しむ事が出来ます。
移転する以前は池袋にあり、私も何度も聴きに行きました。
お店には若いフランス人の青年が働いていて、
彼はチャボロの大ファンでした。
出身地も同じで、チャボロは自分の大先輩で、
とても尊敬していると熱く語ってくれました。
彼は自分の胸に手を置き私にこう言うのです。
「チャボロは僕にとって1番」
私は何の悪気もなく、つい変な質問をしてしまいました。
「なるほどチャボロが1番好きなんだ!ジャンゴより?」
彼は5秒ほどフリーズしてしまい
おもむろに私を見上げて言いました。
「ジャンゴ1番」
聞いた私が馬鹿だったのです。
ジャンゴはマヌーシュ・ジャズの生みの親であり
比較する対象では無いんですよね!
私は反省しました。
しいて表現するとこんな感じで
(反省)

私はまるで武田鉄矢のように、なんどもうなずきました。
うんうんうんうんうん

そしてフランスから来たその青年の肩に手をかけ
解りやすい日本語で言いました。
「チャボロ2番ね!」
...............
.................

今回はこの辺で