天皇の料理番
「ジュテームってなんですか?」
俊子は夫からの手紙を
慈しむように読んでいた

自分を捨て、料理人になると
ひとり東京に出て行った夫
しかし俊子は夫からの手紙を
とても大切そうに胸に抱き
自然とあふれる涙をぬぐう

手紙の追伸には
俊子の聞いたこともない
外国語が書かれていた
ジュテーム.....

1979年に出版された杉森久英の小説
「天皇の料理番」
大正から昭和にかけて宮内省の
大膳職厨司長(料理長)を務めた
秋山徳蔵の物語である

ドラマ化はすでに3回
実在の人物をモデルにしているが
小説、ドラマ共にフィクションを
多分に含んでるため
ドラマでは名前を徳蔵から
「篤蔵」へと変更している
2015年のドラマ化は
TBSテレビ60周年特別企画として
制作、放送された。
主演の秋山篤蔵役は佐藤健

1888年(明治21年)
福井県の裕福な家庭に生まれ
優秀な長男に比べて
何をやっても根気が続かない
飽きっぽい次男坊の篤蔵
周囲の反対を押し切り
坊主になりたいと寺に入るも
たった3ヶ月で破門になる
見兼ねた両親は篤蔵を
鯖江の海産物問屋へ
婿養子に出すのだが...
ある日、鯖江の陸軍の厨房で
生まれて初めて食べた
カツレツの味に魅了され
帝国一の料理人になると
妻を捨て上京する

東京の一流洋食店である
華族会館で修行を始めるも
掃除や鍋洗いに嫌気がさし
すぐに投げ出そうとする
そんな根気の無い篤蔵に
料理長の宇佐美鎌市は
「料理はまごころだ」と教える

篤蔵は、まごころの大切さを痛感し
修行に専念し料理の腕を上げていく

のちに篤蔵はパリに渡り
名門ホテル・リッツで働き
フランス料理の革命児と呼ばれた
オーギュスト・エスコフィエのもとで
研鑽を積むのだが
ドラマ化3回目ともなると
渡仏の理由も面白く脚色されている
華族会館はクビになり...
養子先からは離縁をされ..
親には勘当され...
働いていた食堂の女将に間男して
もうパリにでも行って
一旗揚げるしか恰好がつかないと
不純な動機に周囲は呆れる
しかし兄の周太郎だけは
篤蔵を信じていた
病を患った自分の代りに
夢を叶えて欲しいと
渡仏に必要な金を工面する
兄の恩に報いるべく
帝国一のコックになるため
篤蔵はパリでも必死に努力し
料理の腕を上げていく

1912年
篤蔵はパリの新聞で
明治天皇崩御を知る
当時の天皇は日本人にとって
現人神(あらひとがみ)

失意の篤蔵に日本大使館から
大正天皇即位に伴い
世界18か国の賓客を本格的な
フランス料理でもてなすため
宮内省大膳寮の厨司長に推薦され
篤蔵はこれを受け帰国する
病の床にある兄に挨拶に行くと
周太郎は篤蔵が天皇の料理番に
任官する事を聞いて
まさに帝国一の料理人になったと
涙して弟の出世を喜んだ

今回ご紹介する曲は
ドラマの挿入曲
「夢見る人」
作詞作曲:さだまさし
楽譜でご紹介

YouTubeの動画です
篤蔵は最初の大仕事である
2000名の賓客を招く御即位
御大礼の献立を必死に考える
日本が一流国として認められる
最高の料理を作らねばならない
晩餐会は京都、二条離宮で開かれた
病の重くなった兄の周太郎は
献立の書かれた篤蔵からの手紙を
母のふきに読んでもらう

「最初は...
すっぽんのコンソメ

次はザリガニのポタージュやて

次はマスの酒蒸し...

とりのかぶせ焼き
牛ヒレの焼き肉...

シギの冷たい料理

オレンジと酒のシャーベット

七面鳥のあぶり焼き

セロリの煮込み
最後は...

富士山のアイスクリーム

病床の周太郎は目を閉じながら
弟の活躍を思い浮かべ
嬉しそうにつぶやく
「美味そうやのう...」

大役を成し遂げた篤蔵は
空を見上げながら
常に自分を信じ助けてくれた
兄に向けて語りだす

兄やん...
わしちゃんと出来てましたか?
.............
あなたの誇りになれてましたか?

秋山徳蔵は昭和天皇の代まで
天皇の料理番として仕え
1972年(昭和47年)、84歳で現役を引退
1973年(昭和48年)に勲三等瑞宝章を受章
翌1974年(昭和49年)にこの世を去る
没後に従四位、そして正四位に叙された
秋山 徳蔵
1888年- 1974年

今回はこの辺で